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nervous

365日を一周とする一年と言うサイクル
区切られて有り難いと思えれば、そう思えない時もある

next yearに突入する日が近づけば近づくほど後者の思いにさせられる

特に津和野に帰ってから、冬という季節がつらくてたまらない
年末年始のバタバタで心を失うというよりも
津和野の冬に心をやられている

これって軽く季節性の鬱病

これからの三ヶ月なかなか前向きになれないので出来れば克服したいんですよね

あんまり無理するのはよくないんですが
無理する事が出来ないということもあんまり嬉しい状態ではないんですよね


一昨日、松江市にある「本願寺 山陰教化センター」で
青年布教使の自主研修会が開かれました

いま、山陰(島根・鳥取)教区布教団の青年代表を仰せ付かっているのですが
一応、私の発案で始まった研修(勉強)会で
二年間で計6回を予定しています
この度は二度目で、
同教区の松林茂先生を御講師にお迎えして
「安心論題(あんじんろんだい)」という
江戸時代から始まった浄土真宗の教えの間違えやすいポイントを
常に聖典にあたりながら学んで行くという
伝統的な学問を講義していただいております

聖典とにらめっこする3時間はあっという間で
世間を離れて一つの事に打ち込める時間が
これほど贅沢なものなのかとしみじみ味合わさせて頂きました

こんな日が毎日続けば良いのに
山に籠って研鑽を積まれている僧侶がうらやましい
そんな事を考えてしまいました

でも、きっと
そうなればそうなったで不満をもらすのが私なのでしょうね


私は考えすぎることで自らを苦しめている
自らの思い通りばかり求めて苦しんでいる
その苦しみは私に関わる人達も苦しめる
分かっている 頭では
しかし簡単には変われない

お釈迦様はこの境涯を「一切皆苦」と仰って下さった
これを聞いた時は嬉しかった

そしてもっと嬉しかったのは
阿弥陀如来という仏さまが
私たちの苦悩を除くハタラキ(法)であるとお示し下さったことです
その阿弥陀如来のハタラキを
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)と申します

ここに人間として生まれて来た以上
私が私として生まれて来た以上
自らの都合を求めて苦しんでいく人生苦はなくなりません
なぜなら、それが生きているという事ですから

うちの子どもは「さびしい」「苦しい」「助けて」って素直に言ってくれる
それは受けとめてくれる母親の存在があるから
大人になると「苦しいよ」「助けて!」って言いづらくなる
むしろ言っちゃいけないと思ってる
最近は子どもでも言えなくなってる

生きる為には強くなるべきだと思うし頑張るべきだと思う
けれども強い人ばかりではないし
ずっと頑張れるわけではない

人は本来弱い

俺は本当に弱い


弱い事を
苦しんでいる事を
知っていて下さる方が本当の親

前に進む勇気を与えて下さる親と
どんな事があっても見捨てない親

前者がお釈迦様で後者が阿弥陀様


苦悩を除くハタラキ(法)とは
いつでもどんなときでも一緒にいてくださるものであり
その一緒にいてくださるという安心が楽をもたらします

「苦しいのか?」「辛いのか?」
「大丈夫だぞ!安心せよ!」「アミダがおるぞ!」
「必ず助けるぞ」「わたしにまかせよ」
との仰せが
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)となってはたらいています

私が苦悩に打ちひしがれる前から
このように仰せなのです


今も
なんまんだぶと口からこぼれる

私の上でハタラク仏さまは私を生かす


最近、誰かを殺す(認めない)言葉や思いばかりが浮かび
それで気持ちよくなれるかと言えばそうではなく
自他共に苦しんでいました

誰かの存在が自分を生かしているように
私の存在が何かを生かしていくあり方
それは自分を生かしてくれるモノへの感謝に尽きるのでしょうね


何だか変な文章になってしまいました
ちょっとしたリハビリですね
最後まで読んでくれてありがとうございました


南無阿弥陀仏☆
by micgenspool | 2014-12-18 10:44 | life
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