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ビハーラ

僕のめちゃめちゃ尊敬しているお医者様で
お念仏者でもある 宮崎幸枝先生が
このたび鹿足組(かのあしそ)のビハーラ研修会に
ご講師として来てくださいました(喜)

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茨城県稲敷市にある「医療法人精光会みやざきホスピタル」の理事長であり、
副院長である先生は、平成5年より『ビハーラの会』始められ、
患者さん・職員さんと一緒に“南無阿弥陀仏のおみのり”を御聴聞し続けている。

そもそも[ビハーラ]とは何か?というと
先生は[平生業成]だと仰られます。
それでは、その[平生業成]とはなにか?というと
今ここにいる私が臨終をまつことなく、阿弥陀仏の本願のはたらきによって
お浄土に生まれる(往生)身に定まる(確定する)ことをいいます。
他力の信心を得たとき往生も定まるのであって
つまり、阿弥陀様が本願(どんな者も必ず仏にするという願い)を起こされたその時
私の往生も間違いものであったと信知したとき
「臨終」の解決は「今」の解決であったことを同時に現している言葉であります。
生死(しょうじ)の解決は、阿弥陀様の側でついているということですね。

[ビハーラ]という言葉の始まりは、
インドの言葉サンスクリットで、
「休息・安らぎ・安住(の場所)・僧院または寺院」という意味があるようです。
身も心も安らかなる場所。

いま・ここに・この私に届き続けている
阿弥陀様の本願(願い)・お慈悲の中ほどの安らぎはない。
[ビハーラ]=[平生業成]とはそういうことなんですね。

どんな愚かな者も(俺のこと)
どんな浅ましいものも(俺のこと)
どんな悪人も(俺のこと)
どんなものでも平等にもらすことなく救うという阿弥陀様の願いは
力強く、頼もしく、間違いないのないものなのです。

生死(しょうじ)を離れることができない僕らは
どこまでも不確かであり、無常であり非常です。
にもかかわらず、自分は常住であり不変であると思い込んでいる。
自分の側に確かなものなど何一つないのに。。。
何かを掴んでいないと不安なんですよね。。。


パッと放してみて下さいよ!
始まりのない始まりから僕をあなたを見捨てないという願いが届いているから。


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by micgenspool | 2009-11-15 18:43 | Buddha
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