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梅雨だから

父の百か日から始まった今月。

なんかバラエティにとんで忙しい。

お寺での仕事(法事や葬儀)はまったくと言っていいほどなく、
今、山陰教区布教団の青年代表を仰せ付かっていて、自らが企画した研修会が6月2日松江であったので、それに当然参加したり、ザ・スペシャル坊ズ(島根の僧侶で結成したスカ・バンド)の練習andLIVEがあったり、続いて、広島県の呉市西光寺様の永代経法要に3日間出向して、終わったその日に会議があったりと、入る時には予定というものは入るものなんですね。

2週目の金曜日
会議から二日後、「江津組(ごうつそ)仏教婦人会連盟総会並びに研修会」の講師として招かれ、40分×2のご法話致しました。
前々から気になっておりましたご住職のお寺が会場であったもので、来場するまでは変に気負っておりましたが、お会いしてお話しをする中で緊張もほぐれ、いい意味で考えていた事が吹っ飛んだ状態で登壇することができました。
会場である本堂には250名ぐらいいらっしゃって、この日は暑い日だったのですが、より一層の熱を感じました。
梅雨だから_c0148658_1571726.jpg

講題(話のテーマ)を頼まれていたので一ヶ月程前に提出していました。
『大乗〜生きる真実〜』
というものすごく堅いテーマ。内容は堅くならないように考えていました。
私が話したかったのは、「自らの喜びが他に喜びを与え、他の喜びが自らに喜びを与える事の幸せ」という事で、そういう経験をそのままお話しした80分でした。

自分のような若輩者が、このような大きな舞台に立たせてもらえる事自体、あり得ない事なのですが、縁が整って素晴らしい経験と学びを賜りました。

その次の日には、石見東部の有志の住職様方で始められた、仏教の勉強会「四季講」に参加させていただき、龍谷大学の楠先生に『釈尊伝』の御講義を賜りました。


これを書いている今も津和野は雨なのですが、お釈迦様がご在世のころ、インドの雨期には「安居(あんご)」といって、動植物がいのち芽生えるこの時期は、家を出ず学問に勤しむということがあったそうで、今でもその伝統は受け継がれております。
梅雨だから_c0148658_15282477.jpg


忙しいとええ加減に過ごすのではなく、少し立ち止まり「いのち」への学びを深める大切な季節であると知らされる御縁なのですね。


南無阿弥陀仏
# by micgenspool | 2015-06-19 15:33 | Buddha

nervous

365日を一周とする一年と言うサイクル
区切られて有り難いと思えれば、そう思えない時もある

next yearに突入する日が近づけば近づくほど後者の思いにさせられる

特に津和野に帰ってから、冬という季節がつらくてたまらない
年末年始のバタバタで心を失うというよりも
津和野の冬に心をやられている

これって軽く季節性の鬱病

これからの三ヶ月なかなか前向きになれないので出来れば克服したいんですよね

あんまり無理するのはよくないんですが
無理する事が出来ないということもあんまり嬉しい状態ではないんですよね


一昨日、松江市にある「本願寺 山陰教化センター」で
青年布教使の自主研修会が開かれました

いま、山陰(島根・鳥取)教区布教団の青年代表を仰せ付かっているのですが
一応、私の発案で始まった研修(勉強)会で
二年間で計6回を予定しています
この度は二度目で、
同教区の松林茂先生を御講師にお迎えして
「安心論題(あんじんろんだい)」という
江戸時代から始まった浄土真宗の教えの間違えやすいポイントを
常に聖典にあたりながら学んで行くという
伝統的な学問を講義していただいております

聖典とにらめっこする3時間はあっという間で
世間を離れて一つの事に打ち込める時間が
これほど贅沢なものなのかとしみじみ味合わさせて頂きました

こんな日が毎日続けば良いのに
山に籠って研鑽を積まれている僧侶がうらやましい
そんな事を考えてしまいました

でも、きっと
そうなればそうなったで不満をもらすのが私なのでしょうね


私は考えすぎることで自らを苦しめている
自らの思い通りばかり求めて苦しんでいる
その苦しみは私に関わる人達も苦しめる
分かっている 頭では
しかし簡単には変われない

お釈迦様はこの境涯を「一切皆苦」と仰って下さった
これを聞いた時は嬉しかった

そしてもっと嬉しかったのは
阿弥陀如来という仏さまが
私たちの苦悩を除くハタラキ(法)であるとお示し下さったことです
その阿弥陀如来のハタラキを
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)と申します

ここに人間として生まれて来た以上
私が私として生まれて来た以上
自らの都合を求めて苦しんでいく人生苦はなくなりません
なぜなら、それが生きているという事ですから

うちの子どもは「さびしい」「苦しい」「助けて」って素直に言ってくれる
それは受けとめてくれる母親の存在があるから
大人になると「苦しいよ」「助けて!」って言いづらくなる
むしろ言っちゃいけないと思ってる
最近は子どもでも言えなくなってる

生きる為には強くなるべきだと思うし頑張るべきだと思う
けれども強い人ばかりではないし
ずっと頑張れるわけではない

人は本来弱い

俺は本当に弱い


弱い事を
苦しんでいる事を
知っていて下さる方が本当の親

前に進む勇気を与えて下さる親と
どんな事があっても見捨てない親

前者がお釈迦様で後者が阿弥陀様


苦悩を除くハタラキ(法)とは
いつでもどんなときでも一緒にいてくださるものであり
その一緒にいてくださるという安心が楽をもたらします

「苦しいのか?」「辛いのか?」
「大丈夫だぞ!安心せよ!」「アミダがおるぞ!」
「必ず助けるぞ」「わたしにまかせよ」
との仰せが
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)となってはたらいています

私が苦悩に打ちひしがれる前から
このように仰せなのです


今も
なんまんだぶと口からこぼれる

私の上でハタラク仏さまは私を生かす


最近、誰かを殺す(認めない)言葉や思いばかりが浮かび
それで気持ちよくなれるかと言えばそうではなく
自他共に苦しんでいました

誰かの存在が自分を生かしているように
私の存在が何かを生かしていくあり方
それは自分を生かしてくれるモノへの感謝に尽きるのでしょうね


何だか変な文章になってしまいました
ちょっとしたリハビリですね
最後まで読んでくれてありがとうございました


南無阿弥陀仏☆
# by micgenspool | 2014-12-18 10:44 | life

nervous

nervous_c0148658_12503198.jpg
365日を一周とする一年と言うサイクル
区切られて有り難いと思えれば、そう思えない時もある

next yearに突入する日が近づけば近づくほど後者の思いにさせられる

特に津和野に帰ってから、冬という季節がつらくてたまらない
年末年始のバタバタで心を失うというよりも
津和野の冬に心をやられている

これって軽く季節性の鬱病

これからの三ヶ月なかなか前向きになれないので出来れば克服したいんですよね

あんまり無理するのはよくないんですが
無理する事が出来ないということもあんまり嬉しい状態ではないんですよね


一昨日、松江市にある「本願寺 山陰教化センター」で
青年布教使の自主研修会が開かれました

いま、山陰(島根・鳥取)教区布教団の青年代表を仰せ付かっているのですが
一応、私の発案で始まった研修(勉強)会で
二年間で計6回を予定しています
この度は二度目で、
同教区の松林茂先生を御講師にお迎えして
「安心論題(あんじんろんだい)」という
江戸時代から始まった浄土真宗の教えの間違えやすいポイントを
常に聖典にあたりながら学んで行くという
伝統的な学問を講義していただいております

聖典とにらめっこする3時間はあっという間で
世間を離れて一つの事に打ち込める時間が
これほど贅沢なものなのかとしみじみ味合わさせて頂きました

こんな日が毎日続けば良いのに
山に籠って研鑽を積まれている僧侶がうらやましい
そんな事を考えてしまいました

でも、きっと
そうなればそうなったで不満をもらすのが私なのでしょうね


私は考えすぎることで自らを苦しめている
自らの思い通りばかり求めて苦しんでいる
その苦しみは私に関わる人達も苦しめる
分かっている 頭では
しかし簡単には変われない

お釈迦様はこの境涯を「一切皆苦」と仰って下さった
これを聞いた時は嬉しかった

そしてもっと嬉しかったのは
阿弥陀如来という仏さまが
私たちの苦悩を除くハタラキ(法)であるとお示し下さったことです
その阿弥陀如来のハタラキを
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)と申します

ここに人間として生まれて来た以上
私が私として生まれて来た以上
自らの都合を求めて苦しんでいく人生苦はなくなりません
なぜなら、それが生きているという事ですから

うちの子どもは「さびしい」「苦しい」「助けて」って素直に言ってくれる
それは受けとめてくれる母親の存在があるから
大人になると「苦しいよ」「助けて!」って言いづらくなる
むしろ言っちゃいけないと思ってる
最近は子どもでも言えなくなってる

生きる為には強くなるべきだと思うし頑張るべきだと思う
けれども強い人ばかりではないし
ずっと頑張れるわけではない

人は本来弱い

俺は本当に弱い


弱い事を
苦しんでいる事を
知っていて下さる方が本当の親

前に進む勇気を与えて下さる親と
どんな事があっても見捨てない親

前者がお釈迦様で後者が阿弥陀様


苦悩を除くハタラキ(法)とは
いつでもどんなときでも一緒にいてくださるものであり
その一緒にいてくださるという安心が楽をもたらします

「苦しいのか?」「辛いのか?」
「大丈夫だぞ!安心せよ!」「アミダがおるぞ!」
「必ず助けるぞ」「わたしにまかせよ」
との仰せが
なもあみだぶつ(南無阿弥陀仏)となってはたらいています

私が苦悩に打ちひしがれる前から
このように仰せなのです


今も
なんまんだぶと口からこぼれる

私の上でハタラク仏さまは私を生かす


最近、誰かを殺す(認めない)言葉や思いばかりが浮かび
それで気持ちよくなれるかと言えばそうではなく
自他共に苦しんでいました

誰かの存在が自分を生かしているように
私の存在が何かを生かしていくあり方
それは自分を生かしてくれるモノへの感謝に尽きるのでしょうね


何だか変な文章になってしまいました
ちょっとしたリハビリですね
最後まで読んでくれてありがとうございました


南無阿弥陀仏☆
# by micgenspool | 2014-12-18 10:44 | life

大変なんですよね

今、日本は大ピンチ!

景気の問題
近隣諸国との問題
東北を始め各地で起こり続ける天災による復旧・復興の問題
憲法9条の問題
少子高齢化の問題
過密過疎の問題
自死問題
うつなどの精神的な病の問題
就労の問題
地震や津波、豪雨などでたくさんの人が生命をたたれた問題

そして、一番ヤバいのは原発の問題

被爆の問題


被爆は外部被爆だけではなく、内部被爆というものがあります。

つまり、口から入ることで内側から被爆するということです。

次の遺伝子に大きな影響を与える可能性がある。

そういう不安を抱えながら生きるという過酷さ。


未来や夢を語る事は大いに大歓迎ではあるけど、本当に何から目をそらしているのか?
そこを確認していく作業が必要だと思います。


豪雨、噴火、地震、津波
これからも必ずあります。

私たちの世界には限界があります。
自然現象は、何も人間を苦しませる為に起こっている事ではありません。
しかし、必ず起こります。


そういう明日の命すら分からない今日に考えなければならない事とは?


各々、それぞれ向き合う必要があると思います。


自らの「正しい」に問いを持つ事で色々な問題と直面することができます。
大変なんですよね_c0148658_293489.jpg

# by micgenspool | 2014-11-23 02:09 | life

RE:START

11月も後半に突入。
津和野の紅葉も今週末の連休が見納めだろう。

気がつけば、苦手な寒い冬が目の前にやってきました。


なんと!
二年ぶりの投稿(。> <)

何から書けば良いのか。。。自分の継続性のなさに呆れ返りながらキーボードをたたいています。

情報発信の中心がFace Bookに頼り始めてからブログの方が大変おろそかになりました。
昨夜から数名のたまたまのアプローチをきっかけにぼちぼちUPしていこうと思います。
まぁ、もともと続ける事に重きをおいて始めたブログではないので、ええ加減な感じで見てもらえると助かりますw


RE:START_c0148658_14573791.jpg



今年5月31日には、5年目を迎え最高に盛り上がった、親鸞聖人BIRTHDAY PARTY「SCHOOL OF TEMPLE」行われ、町内外から沢山の若者が集い、お寺を音楽を飲食を楽しんでくれました。

今年は、何というか、ずっと想い描いていたものに限りなく近いパーティーになりました。
全部おかげ様なのですが、本当に「HAPPY」に包まれた最高のひとときでした。

まだ、来た事のない人は是非遊びにいらしてください!
来年は5月30日(土)15:00〜22:00[5月の最終土曜日]開催予定(もしかしたら変更があるかも?)



RE:START_c0148658_15135833.jpg


今年はW杯イヤーということもあって、一大イベントが終わってからも、眠れない日が続き、重ねて、7月2日〜3日に開催致しました「青年布教使有志による全国大会」の実行委員代表なるものを仰せ付かった為、妙な緊張感を持ちながら過ごした上半期でした。


8月には初めて本願寺(西本願寺)の常例法座に出向致しましたし、20年前には考えてもいなかった自分の姿が今ここにあります。
支えられ、育てられ、そして導かれ、どうしようもない一人の人間がご恩報謝の道を歩まさせていただいています。

これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏
# by micgenspool | 2014-11-21 15:30 | life